歴史の島へ#10

原の辻遺跡探索記

2021/5/2

歴史を学んで。

左京鼻から八幡半島をぐるっと回って再び南へ戻ります。次の目的地は「原の辻ガイダンス」という場所。実は八幡半島へと向かう途中でも目の前を通ったのですが、天候の見通しを考慮して、先に八幡半島に行ったのでした。

原の辻

「原の辻」に到着して駐車場に止めた後はまず「原の辻ガイダンス」という、この「原の辻遺跡」を解説してくれる施設に入ることにします。なお、遺跡の経過なども含めて学べるので、先にガイダンス施設を見ることを強くお勧めします!

原の辻ガイダンス

入っていこうとすると入口付近に模型があったので、まずはそちらをチェック。

船着き場跡の模型

この模型は弥生時代に造られた「船着き場」を再現したもの。この船着き場は古来における大陸との交流を示すもので、壱岐が日本の玄関口の一つであることを強く示しています。

それでは中に入ります。中に入ると古代船を再現したものが目の前に現れます。古代の時代には、この船で大陸と行き来をしたというのだから、本当にすごいです。まさに命がけの船旅。

古代船

入口を境に左右に分かれているので、まずは左側へ向かいます。こちら側には「原の辻遺跡」の歴史などを学ぶことができるように展示がなされています。魏志倭人伝は受験勉強で覚えたくらいで、よく調べることは今までなかったのですが、初めてしっかりと学ぶことができました。

原の辻遺跡の歴史などを学べます。

右側にはレストランやお土産売り場があります。また、壱岐神楽の舞台もありました。

壱岐神楽の舞台

いざ、遺跡へ。

「原の辻ガイダンス」で「原の辻」の歴史を学んだ後は道路の反対側にある「原の辻遺跡」ゾーンへと向かいます。

原の辻遺跡の入口

順路がよく分からないのですが、屋外体験広場を経由してメインエリアへと向かいました。「屋外体験広場」は様々なイベント会場として利用されているそう。その先には、「土器溜り遺構露出展示施設」がありました。

土器溜り遺構露出展示施設

丘陵地の中で窪んでいる場所で大規模な土器溜りが発見された場所。一部には覆屋を設けれて展示されています。

更に進むとメインエリアに入ります。王都「原の辻」復元エリア全体を見通せます。遠くにも高いビルなどがないので、まるで弥生時代にタイムスリップした気分になります。

原の辻遺跡(全景)

ここからは各施設をご紹介します。エリア区分は現地マップに準拠しています。

交易の倉

異国との交易をおこなう際に使用された道具や交易品を管理していた倉であったと推定されています。

集会所

原の辻のタミ(市井の人々)が暮らす場所の近くに位置し、様々な専業集団(稲作・畑作・漁撈・建築等)の長たちが集まる語り合いの場。

エリア区分:集会所と長老の家(西側北)

長老の家

中心域では数少ない竪穴式住居で、タミのまとめ役であった長老が暮らした家と想定しています。

エリア区分:集会所と長老の家(西側北)

迎賓の建物

異国の使節団の長らが滞在した建物を想定しています。大型の竪穴住居となっています。

エリア区分:迎賓場(西側中央)

従者の宿舎

使節団の長と共に来た従者らの滞在する建物と想定しています。

エリア区分:迎賓場(西側中央)

使節団の倉

使節団を迎えるための道具を収納するとともに、使節団の荷物を補完する目的の倉と想定されています。訪れた時は修復工事中でした。

エリア区分:迎賓場(西側中央)

王の館

一支国王の館と想定されているもので、最大規模の竪穴住居となっています。

エリア区分:王の館(西側南)

食材の倉

儀式の際に供えるための食材を保管するための倉と想定されています。

エリア区分:祭儀場(西側南)

祭器・儀器の倉

儀式で使うための装飾品・楽器・調理器具などを保管するための倉。

エリア区分:祭儀場(西側南)

主祭殿

祭祀や儀式を執り行った建物と想定されており、屋根には屋根飾りもついています。

エリア区分:祭儀場(西側南)

脇殿

祭儀にのぞむ王が身を清める場所であったと想定しているそう。

エリア区分:祭儀場(西側南)

周溝状遺構

祭儀場エリアの南側には、周囲を溝で取り囲んだ場所があります。溝の中からは鉄剣や鉄鎌などが見つかっており、何らかの儀式が執り行われた場所と考えられています。


このあたりで丁度半分ほどの散策を終えました。

南側から撮影した王都

写真でもお分かりの通り、徐々に天気が悪くなってきたので、この辺りからは急ぎ目で散策をしました。

穀倉

交易の倉と南北対に位置する場所にある「穀倉」。人々が食べる穀物が保管されていたものとされています。

譯の家

異国との通訳を担っていた「譯」の住居。渡来系の人物が務めていたそう。

エリア区分:居住域(東部)

使節団の宿舎

一般の使節団が滞在するための建物。10~20人ほどが寝泊まりしていたと考えられています。

エリア区分:居住域(東部)

番小屋

物見櫓のすぐ隣に位置していることから兵士の番小屋であったと想定されているもの。常時10名程度の兵士が交代で詰め、物見櫓から集落の内外を見張っていたそうです。

エリア区分:居住域(東部)

物見櫓

集落の内外を見張っていた物見櫓。集落内随一の高層の建物となっています。

エリア区分:居住域(東部)

交易司(こうえきし)の家

一支国において重要な営みであった「外部との交易」を司るものの家と想定されています。訪問時は前年までの台風被害の影響により立入禁止となっていました。

エリア区分:居住域(東部)


一通り「王都・原の辻」を見学した後は「原の辻ガイダンス」へと戻ります。帰りは往路と違う道を辿って駐車場へと戻ることにしました。

門・柵

王都を訪ねる人々や使節団を迎えるための「門」と「柵」も一部復元されています。門の内側には障壁があり、邪気を払う魔除けの楯が立てかけられています。

東側環濠

外敵や動物から集落を守るために「環濠」が張り巡らされていたそうで、部分的に復元されています。ただし、保存状況は何とも言えず、環濠跡地のようになっています。

後半は駆け足での散策となってしまいましたが、ここまでで一通りの施設を見たことになります。天気も悪くなりそうだったため、私は急いで駐車場に戻り、次の目的地へと向かうことにしました。

次回予告:壱岐の歴史をさらに学びに。


旅行記「歴史の島へ」