焼尻島探索記(後編)
Date: 2021/7/24
日本海に浮かぶ島
鷹の巣園地
中央道路を走り抜けて到着したのが「鷹の巣園地」です。天売島が眼前に広がる島西部の展望スポットとなっています。
この「鷹の巣園地」から天売島を見ると、天売島の集落が綺麗に一望できるため、島の様子がとてもよく分かります。(フェリー・高速船の発着する港は天売島の北東部で端っこであるため、フェリーなどからは集落の一部しか見ることが出来ません)
もちろん振り返ると焼尻島内もよく見通すことができます。こちらはだいぶ平坦な印象です。めん羊たちのための牧草ロールがよく見えます。
ラナルド・マクドナルド
鷹の巣園地を出発した後は島南部を通る道を進みます。長い下り坂を抜けると、白浜海岸に到着します。この付近はキャンプ場としても整備されており、この日もキャンプを楽しむ人たちがいらっしゃいました。
このキャンプ場には「ラナルド・マクドナルド日本最初の上陸地『焼尻島』」という看板が立っています。なお、正確には白浜海岸よりもやや西方が上陸地だそうです。
ラナルド・マクドナルドとは何者か、というと冒険家らしく、捕鯨船で日本付近までやってきて、一人ボートでこの焼尻島に上陸したそうです。焼尻島では周辺に人がいなかったことから無人島であると判断し、人々との接触はなく、その後利尻島へ上陸。密入国ということで取り調べを受けたとのこと。当然命がけでの旅であるわけで、よくやってきたなあと感心するのみであります。
島の歴史
焼尻郷土館
観光の最後は焼尻港からほど近い場所にある「焼尻郷土館」です。この建物で観光をしている間、ハイヤーさんはフェリーの発着に合わせて港へ行くそうです。
この焼尻郷土館は、1900年(明治33年)に建設された旧家(小納家)の施設を利用しています。小納家は石川県の出身で、この焼尻島で漁業のほか、雑貨・呉服商を営んでいたとのこと。この建物は単に居宅ではなく、店舗・郵便局・電信局をも併設した建物となっています。
館内は撮影禁止であったため写真はありませんが、1階は和風店舗・2階は洋風と和洋折衷の建物となっていて、初期洋風建築を象徴した建物です。
最後に島北部を往復してハイヤー観光を終えます。写真は「黄色いハンカチ」のロケ地(の民家があった場所)とのことですが、ご覧のような状況であり、車窓から見て終わりました。
島北部は特に空き家が多く何とも寂しい雰囲気が漂っていました。焼尻島はかつて6千人ほどの人々が生活をしていましたが、現在の人口は2百人を切っているとのこと。高齢者ばかりで若い人はほとんどいないそう。個人で旅をするのも良いですが、今回利用した観光ハイヤーなどを利用すると、島の過去・今・未来についてより深く知ることが出来るのは一つのメリットかなと改めて思いました。
最後は宿まで送っていただき、私はそこで解散。残りの皆さんは本日のフェリーで帰るそうなので、焼尻港まで行くようでした。
次回予告:焼尻島の民宿で。
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