こうちグルメ旅#3

高知・桂浜散策記

Date:2021/9/25

今に何を想うだろう


徳川家康が開いた江戸幕府の時代が終わり、明治になったのは1868年。当時の「志士たち」は新しい世を夢みていた。その後の明治日本は飛躍的な発展を遂げた。いつしか加熱した帝国主義が軍部だけの責任ではなかったのだろう。いずれにしても1945年。大政奉還から77年後、日本は莫大な犠牲を払い、戦いに敗れた。

昭和日本は東西冷戦のなかで発展を遂げた。いつしかバブルは弾け低迷の時代に入った。来年2022年には、明治元年から今のちょうど真ん中が1945年になるという。明治維新どころか戦後もだいぶ昔になった。しかし、社会には課題が山積していることは変わりない。今の時代を見たら、幕末の志士たちは何を想うのだろうか。そんなことを思う。

前回記事の振り返り
新千歳空港から羽田乗継で高知龍馬空港に到着。高知空港からはバスで高知駅前へと向かいます。
高知駅

高知空港から乗車したバスは約25分で高知駅バスターミナルへと到着しました。これは乗って気が付いたことですが、高知市中心部には乗降停留所がとても多いので目的地に合わせて最適な場所で下りられます。一方で、「はりまや橋」と「北はりまや橋」、「高知駅前」と「高知駅」など紛らわしい停留所も多いので、間違って下車してしまわないように気を付ける必要があります。もちろん、間違えたところで大した差にはならず、損した気分が大きいというだけではありますけれども。

高知駅北口
高知駅南口

高知駅前には大きな観光案内施設がありますが、この日は新型感染症を理由に休業中ということで、その付近はだいぶ静まり返っているようでした。

とはいえ何もないかと言えばそういうこともなく「高知三志士像」が鎮座しています。左から「武市半平太像」・「坂本龍馬像」・「中岡慎太郎像」です。この3人―いや、幕末の志士たちが今を生きていたとしたら、どんなことを思うのだろうか、などと意味のないことをボヤっと考えつつ、バスが来るまで待つことにします。

高知三志士像
桂浜

高知駅前からは桂浜まで「とさでん交通」のバスに乗って向かいます。桂浜までのアクセス手段としては路線バス桂浜線と、観光地を周遊する「MY遊バス」の2種類があります。桂浜線は高知駅から桂浜まで約37分ですが、MY遊バスは観光地を巡るため約1時間かかります。

13時に高知駅を出発するバスに乗車します。出発する時点では数名のお客さんでしたが、途中のバス停でお客さんも増えてきて、だいたいの席を埋めて、桂浜に到着しました。

バス停から桂浜までは徒歩すぐです。お土産物店街を抜けて、少し登ると、「桂浜」を見渡す展望スペースに到着しました。

桂浜

ここを左に行くと「坂本龍馬像」があるようなので左に向かいます。すると間もなく随分と高い場所に鎮座する「坂本龍馬」がいました。

坂本龍馬像

桂浜というと「坂本龍馬」というイメージがあるので、桂浜と坂本龍馬との繋がりをGoogle先生に尋ねてみることにします。しかしその答えが全く分からない。龍馬ゆかりの地でもなく、桂浜にまつわる逸話もなく、生家からも遠い、この場所に龍馬のイメージが着いたのは「謎」だそう。信ぴょう性の乏しいソースでは「海の向こう」を見ている人間だったから、だとか。でも、そんな理由はあながち間違ってもいないのかもしれません。そんなことを思ってみたりします。

龍馬像の奥にある階段を下って砂浜へと向かいます。そして、落ち着くベンチなどがあるわけではないので、立ちながら浜辺を眺めます。

桂浜

浜辺をぶらぶらと歩きながら奥にある「龍王宮」へと向かいます。こちらは海洋、漁業、商業、さらには恋愛成就の神様ということで、アレもコレも叶えてくれるようです。

龍王宮

桂浜観光はこれでおしまい。桂浜には坂本龍馬記念館や桂浜水族館などもありますが、今回は龍馬記念館が感染症の影響で閉館していることもあり、行かないことにしました。また来た時に桂浜をしっかり楽しもうと思います。

そして、バス停に戻り、ここまで乗ってきたのと同じバスに乗り、高知市内へと戻ることにしました。帰りのバスも往路と同じくらいの乗車率、そして往路にも見かけたお客さんを乗せていました。

次回予告
高地に来ても「ドーミーイン」。ドーミーイン高知宿泊記です。

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