新春!福のたび#12

太宰府まちあるき(中編)

Date: 2022/1/8

前回記事の振り返り
福岡旅行3日目は福岡市の南にある太宰府市へ。念願の太宰府天満宮へ参拝しました。

次の目的地

太宰府駅前にて

天満宮への参拝を終え、太宰府駅前へ戻ってきました。ここからは「大宰府政庁跡」か「竈門神社」へ向かう予定です。大宰府政庁跡と竈門神社の間はコミュニティバスで結ばれていて約30分間隔での運行、大宰府政庁跡方面はもう少しバスの本数が多いようです。

駅前のバス停に到着すると多くの人が並んでいるので、「こんなに多くの人が大宰府政庁跡に行くのだろうか」と思いつつも、床の表記は「福岡空港・博多駅」となっているのでどうやら違うよう。どこで待っていいのか分からないものの、時間になれば来るだろうと駅前でぶらぶらと待ちます。

どのバスが正しい?

しばらくして高速バス車両がやってきて、お客さんを下ろした後、「博多駅行き」となってバス停にやってきました。博多~太宰府間は高速バスで結ばれているようです。とは言え明らかに市内移動のバスではないため、次を待ちます。バス停にはロケーションシステムの画面があるのですが遅れているようです。

続いてやってきたのは一般の路線バスですが「臨時」表記で博多駅行き。時刻表には載っていない便ですがこれも高速経由のようです。前のバスと同じなのだろうと思いつつも、竈門神社から来るはずのバスが全く来ないので運転手さんに聞いてみると「大宰府政庁前にも停車します」とのことでこちらに乗車します。恐らく、前の高速バスも政庁前で下車出来たのだろうとちょっとばかり残念な気持ちになりましたが、こちらのバスで政庁跡を目指します。

臨時バスということもあり車内は比較的空いています。政庁跡まで定刻だとそんなに時間はかからないのですが、太宰府周辺の渋滞の影響で遅れており少し時間はかかりそうです。しかし、市役所前、続いて政庁前と思ったよりも早く政庁前に停車し、バスを下車します。市内運賃は割安でなんと100円で利用できました。

乗ってきたバス

政庁跡周辺をぶらりまちあるき

大宰府政庁跡

バス停から歩いてすぐ「大宰府政庁跡」に到着します。ここはかつて「大宰府」という行政機関が置かれていた場所です。現在は公園のように使われていて、この日も多くの家族連れなどがいらっしゃいました。

大宰府

7世紀後半に設置された外交・軍事及び九州の内政を担当していた行政機関。

大宰府政庁跡

「大宰府」は大きく3つの期間に分けられます。まずは初めて建設された第1期(7世紀後半~8世紀初頭)。その後、律令制度に合わせて拡充されたのが第2期(8世紀初頭~10世紀前半)で、この時期には大宰府の役割が確立したようです。しかし、941年(天慶4年)におこなった「藤原純友の乱」の戦火により焼け落ち、再建されたのが第3期(10世紀後半~12世紀前半)です。

大宰府政庁跡

正殿跡には3つの石碑が立てられています。「大宰府」がここにあったことを示すものとして、明治・大正期に造られたそうです。

大宰府碑

政庁跡内では凧あげを楽しむ子供連れがいたり、と小春日和な陽気のなかで、和やかで、穏やかで、とても雰囲気がよく、このまま寝そべりたいそんな気分になりました。

令和ゆかりの地

続いて、大宰府政庁跡から少し北上したところにある「坂本八幡宮」へと向かいます。こちらは「令和ゆかりの地」として知られているようです。

坂本八幡宮

それでは境内に入ります。境内は決して広くはありませんがのどかさがあります。そして、「令和になった直後」を思わせるような「令和」オシにビックリします。ついつい、令和になった時を思い出してしまいます。

本殿

境内には「令和の碑」があります。

令和ゆかりの地

元号「令和」は大伴旅人が730年に自身の邸宅で開いた「梅花の宴」にて詠まれた梅花の歌三十二首の序文「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」から引用されています。大伴旅人邸は諸説あるが、坂本八幡宮付近であったと言われており、令和ゆかりの地としているそうです。

令和の碑

参拝を済ませた後は再び政庁跡方面へと戻ります。坂本八幡宮は少し高いところにあるので帰りは政庁跡一帯を俯瞰しながら歩いて帰ることが出来ます。

大宰府政庁跡
大宰府展示館

次の見どころに行く前に、政庁跡の隣にある「大宰府展示館」へ立ち寄ります。こちらは歴史を紹介する遺構・出土品や資料を展示しています。入場料を払って入館します。

大宰府展示館

館内はあまり広くありませんが充実した展示が所せましと並んでいます。入って右に向かうと、政庁跡の遺構があります。こちらは奈良~平安時代の遺構がそのまま保存されています。

玉石構

また、「令和」という名の元が生まれた「梅花の宴」の模型展示やその際のエピソードなども展示されています。

模型「梅花の宴」

また、「梅花の宴」でどのようなものが食べられていたのか、を紹介するものもあります。これをみると大変に「豪華」でちょっとびっくりしてしまいます。

「梅花の宴」の食事

展示館を見終えた後は再び太宰府八幡宮方面へと歩きます。少し進むと、道路沿いに「大宰府学校院」跡があります。こちらは西国の役人養成機関の役割を果たしており、最盛期には200人の学生が学んでいたそうです。

大宰府学校院跡
戒壇院

続いて「宝珠山戒壇院」という寺院があります。こちらは「日本三戒壇」の一つで由緒のある寺院です。

戒壇

戒壇とは戒律を受けるための結界が常に整った場所。授戒を受けることで正式な僧尼と認められます。日本最初の戒壇は東大寺に設けられ、その後、筑紫の観世音寺、下野國の薬師寺に設けられ、日本三戒壇とされました。

「日本三戒壇」というのはこの時初めて知りましたが、長閑な田畑のなかにある立派なお寺は見ごたえがあり、雰囲気・情緒はそれを知らずとも察しうるところです。

宝珠山戒壇院

なお、この「戒壇院」は元々隣接する観世音寺の施設として設けられましたが、江戸時代に観世音寺から独立し、臨済宗の寺院となっています。

戒壇院

本堂のなかにはご本尊である「毘廬舎那仏」という国の重要文化財があり予約をすると見ることが出来るようですが、今回は予約もしていないので、お参りするのみとしました。

本堂
観世音寺

続いて隣接する「観世音寺」へ向かいます。こちらは、飛鳥時代の天智天皇が開基し、奈良時代の746年(天平18年)に完成した九州を代表する古寺。ただし、現在の建物時代は近世以降に再建されたものとなっています。

観世音寺

歴史の古い寺院ですが現在の参拝客はそこまで多くもないため、境内は静かな時が流れています。本堂に対して、西側に「金堂」が位置しています。こうした造りは奈良・川原寺とも類似しているそうです。なお、現存する建物は近世以降のものと記しましたが、金堂及び本堂はいずれも17世紀の建築であり、長い歴史を見てきたことに変わりはないようです。

金堂(左)と講堂/本堂(右)

観世音寺を代表するものとしては「梵鐘」があります。奈良時代に造られたという梵鐘は日本最古とも言われ、国宝にも指定されています。ただ、現在は同じく太宰府市内の九州国立博物館内に保管されているため、この場で見ることは出来ません。

梵鐘

なお、元々、本堂や金堂にあった仏像などの重要文化財の多くは「宝蔵」に保管・公開されています。時間があれば見学したかったのですが今回は時間の関係上、見学をしませんでした。

宝蔵

お参りのあとは参道を歩いてバス通りへと戻ります。

参道
次回予告
観世音寺の後は「宝満山竈門神社」へコミュニティバスに乗って向かいます。

旅行記「新春!福のたび」