大陸の魔都#3

黄浦江と上海料理

Date: 2025/2/22

外灘(Waitan / Bund)

ミルクティー片手に豫園から歩いてやってきたのは外灘と呼ばれる黄浦江沿いのエリア。世界を代表する経済都市の一つ・上海の顔と呼べるエリアです。

黄浦江沿いには立派な遊歩道が整備されているので、遊歩道を散策します。この黄浦江は上海の中心を流れており、その西側を浦西、東側を浦東(Pudong)といいます。浦東はかつて農村や工場が広がる地域でしたが、現在では大規模な開発により、上海の新都心として不動の地位を築いています。

さて、この外灘地区の歴史を振り返ってみます。1842年、イギリスと当時の清国がアヘン戦争の講和条約「南京条約」を締結し、イギリスの租界地が設置されました。それまでの清国は日本と同じく、ヨーロッパ諸国との貿易を広東(広州)1か所に限定していましたが、租界地の設定により上海港が開港しました。

その後、イギリス以外のヨーロッパ各国や日本も同様の租界地を上海に有し、上海は中国随一の都市として発展していきました。こうした経緯もあり、ヨーロッパ調の建物もこのエリアには多く残っています。

上海租界の終わりは第二次世界大戦です。1932年、満州事変以後の反日感情に端を発した上海日本人僧侶襲撃事件などを原因に第一次上海事変が発生します。その後も日中間の対立に起因した事件が複数おこり、第二次上海事変が勃発します。

そして、太平洋戦争により、1941年に上海租界地は日本軍が接収。さらに、日本の敗戦後、国共内戦に勝利した中国共産党が建国した中華人民共和国の成立により、外国資本は香港へ撤退。

国際都市・上海は終わりを迎えます。

外国資本の撤退後、上海は中国の工業都市として復興します。

1978年、中国の改革開放政策により再び外国資本を受け入れ始めた上海は、国際都市として再興しはじめます。特に、1992年以降に開発が行われた浦東地区はその象徴として発展し、現在、上海はアジア・世界を代表する国際都市となりました。

上海の黄浦江。そこは、国際都市・上海を象徴する場所であります。スタートは、アヘン戦争の結果による開港というネガティブなスタートだったのでしょう。幾度の屈辱、戦乱、挫折を経て、21世紀の大都市として蘇った上海市。中国の国旗が自慢げにはためています。

浦東(Pudong)

外灘を後にして、メトロで浦東へやってきました。摩天楼が立ち並ぶ大都会。新都心らしい空気が漂っています。

歩道橋で友人と話していたら、日本人カップルに写真を撮ってほしいと頼まれます。若いカップルも旅先に上海を選ぶんだなーと思いましたが、ディズニーランドがあるからのようですね。納得です。

浦東

小雨がパラつく天気でしたが、黄浦江へ向かいます。こちら側も遊歩道となっていて、外灘を眺めることができます。

外灘のライトアップまで待機します。そして、待ちに待ったライトアップ。歴史を振り返ることも有意義ですが、美しさにただ見とれる。それもまた一興でしょう。

本当はタワーにも行こうかと思っていましたが、天気がいまいちなので、ライトアップされた上海タワーを眺めるだけにしました。その後は、地下鉄に乗って、上海料理を食べに向かいます。

友人にアプリでお店の順番待ちを入れてもらい、順番が来そうな時間までは中心部の西側にあたる静安寺付近を散策します。六本木のような街路樹イルミネーションや歴史的な地域、そして中国っぽい寺院・静安寺など見どころは豊富です。

夕食は、「人和館」という上海料理店でいただきます。こちらは帰る際に撮影した写真なので薄暗いですが、到着したときは明るく、かつ、左手に待合スペースがあり、かなり賑わっていました。

席に着いたらメニュー表をチェック。角煮が人気ということでしたが、角煮は残念ながら売り切れていたので、そのほかのメニューをいろいろと注文します。

料理の前にまずは青島ビールから。薄いけど、美味しいです。

料理の方も続々運ばれてきましたが、なかでも美味しかったのがこちらの上海蟹のあんかけ炒飯。絶品でした。

そのほかにもレバーや白うなぎやらをいただきましたが、どれも素材も味付けもしっかりしていてとても美味しかったですね。美味しかっただけに、これよりも絶品という角煮が食べれなかったのを本当に悔やみます。

食後は、「LIEBEN」というバーに連れてってもらいました。上海のイケてる若者たちが集うバーのようで、店内に入ると、薄暗い店内で、若い男女が楽しく飲んでいます。大都市の隠れ家のようないい雰囲気です。

我々も思い出話などをしながら、のんびりと楽しい時間を過ごしました。この時、相席だったのですが、隣の中国人カップルに話しかけていただき、上海の話や日本の話など翻訳も交えつつ異文化交流しました。最後には、このカップルにお酒まで御馳走になってしまい、本当にありがたい限りです。

飲んだ後は、すでに終電が過ぎていたので、タクシーを手配していただき、ホテルに戻ります。一日目は、イメージの中国よりも上海をかなり楽しめました。

(続く)