雨降る福島宿
2017/7/1
新宿発の臨時直通特急「木曽あずさ」
木曾路はすべて山の中である。
島崎藤村の「夜明け前」はこう始まります。木曽路は昔ながらの宿場町の雰囲気が残っていて、行きたい場所の一つではあったものの、「山の中」にある木曽路はなかなか行く機会がありませんでした。
例えば、首都圏から木曽地方に列車で向かうにしても、新宿駅から特急「あずさ」に乗車し塩尻駅で乗り換えるか、東京駅から東海道新幹線に乗車し名古屋駅で乗り換えるか、の2つの選択肢がありますが、いずれも乗り換えが必要です。ほかに、高速バスが2往復設定されていたものの、4時間以上かかります。いわんや当時は仙台に住んでいましたので、かなり遠いです。
そんな不便な木曽路への移動ですが、2017年夏には、この日から始まったJRグループの観光キャンペーン「信州デスティネーションキャンペーン」に合わせて、新宿駅から木曽路まで直通する臨時特急列車が運行されていました。今回はちょうど東京にいたこともあり、この列車に乗って、木曽路へ旅立つことにしました。
列車名 | 始発駅 | 終着駅 |
特急 木曽あずさ号 | 新宿駅09:24 | 南木曽駅13:48 |
特急 木曽あずさ号 | 南木曽駅16:02 | 新宿駅20:42 |
新宿駅で朝ごはん用の駅弁とお茶を購入して列車に乗り込みます。
今日の朝ごはんに選んだのは東京の定番駅弁「深川めし」です。木曽路への旅立ちは、深川めしという東京・下町の伝統的なご飯が一番似合うような気がしてのチョイスです。
列車はほぼ満席で新宿駅を定刻通りに出発しました。新宿駅からは立川、八王子、甲府の順に、毎日運転されている特急「あずさ」号と同様に、中央本線を西に進みます。その後、岡谷からは辰野という伊那谷の街を通り、塩尻へ向かいます。
21世紀の特急列車は辰野を通らず、トンネルを抜けて、塩尻に向かうのですが、かつては辰野を経由するルートがメインルートでした。この辰野では伊那方面への観光に便利な臨時列車と接続していました。
塩尻からは方向を転換し、いよいよ木曽路へ入ります。木曽路に入って最初の停車駅は、宿場町が有名な奈良井です。その後も木曽川に沿って南に進み、新宿を出発して3時間50分の13時14分、目的地である木曽福島に到着しました。
木曽福島の駅で下車した人はあまり多くなかったようで駅前は閑散としていました。もう13時を過ぎているので、まずは遅めのお昼ご飯とします。
信州そば「くるまや本店」
さて、何を頂きましょう。木曽の名物が何かはまだよく分かっていないのですが、信州と言えば「そば」のイメージです。ということで、事前に調べておいた木曽福島の名店「くるまや本店」さんへお邪魔することにしました。
売り切れ次第終了のようなので営業しているか不安でしたが、店内に入ると明るく迎えてくれました。店内は、昼下がりで少し空いていました。メニューには温かいものも冷たいものもありましたが、おすすめという「とろろ芋付きざるそば(並盛)」を注文しました。
少し待って頼んだ料理がやってきました。こちらでの並盛は2枚とのこと。そばは風味がしっかりと感じられる太めの麺。甘めのつゆとよくマッチします。
続いて、少し下品な気はするものの、玉子の入ったとろろにそばつゆを入れて、とろろそばとしていただきました。これもまた太めの蕎麦がよく合います。美味しくあっという間に食べ終えた後は蕎麦湯をいただきます。
福島宿散策
食後は木曽福島の街を散策します。木曽福島は、かつて木曽福島町という単独の町でしたが、2005年の「平成の大合併」により、現在の木曽郡木曽町となりました。木曽町の役場も置かれる中心となる街で、木曽地方全体でも中心となる街です。
歴史を遡ると、中山道37番目の宿場町として栄え、箱根・新居・碓氷と並ぶ四大関所の一つである「福島関所」も置かれる、中山道中の要衝でした。現在でも、福島関所が復元されているほか、奈良井や妻籠ほどではないものの、宿場町の雰囲気を残した町並みが残っている地区もあるため、中山道の雰囲気を感じ取ることができます。
時よりパラパラと雨の降る梅雨空ではありますが、まずは往時の雰囲気が残る「上の段地区」から散策してみることにします。
上の段地区は、福島宿の本陣跡周辺のことで、町の造りが中山道往時のままであるため、本陣を守るための直角の曲がり角が残っています。また、一部には現代の雰囲気もあるものの、往時の雰囲気を感じさせる建物やなまこ壁なども残っています。
旅を終えて、この街の魅力を伝えるのであれば、江戸時代と現代の雰囲気が違和感なく入り混じっているところ、であるような気がします。
夕食はこちらのお店で豆腐料理を頂きました。