沼田城跡、歴史の香り
2024/7/21
「ホテルルートイン沼田」で朝食
昨夜はたらふく飲んで食べたのでゆっくり起床。8時前に1階のレストランに向かいます。
ルートインの朝食メニューは全国だいたい同じですが、こちらの店舗ではご当地メニューとして「上州もつ煮」や「寄席豆腐」なども準備されていました。残念だったのは、この日はかなり混雑しており、欠品の補充が追い付いていなかったことです。人手不足なのでしょう。
そんなわけで、サラダを盛る予定だったところだけ寂しさがありますが、こんな感じで取ってきました。そうそう、個人的にはスクランブルエッグも嬉しいポイントです。
朝ごはんを食べた後は、朝の市内散策に出かけます。
沼田城址(沼田公園)
市内散策で向かったのは沼田城址に整備された沼田公園です。
簡単に沼田城の歴史を振り返ってみることにます。1532年、鎌倉時代以来この地方の有力者であった沼田氏が築城したのが始まりです。その後、多くの戦国大名による奪い合いが起こりましたが、真田氏により近代的な城郭の整備が行われました。江戸時代に入っても真田氏による統治が行われましたが、1681年に失政を理由に没収となり、以後は本格的な城の復興はなされなかったようです。現在では、一帯の多くが沼田公園として整備され、市民の憩いの場となっています。
沼田城址で一番のみどころは「鐘楼」でしょう。鐘楼は、1634年に領内の安泰を祈願して2代・真田信吉によって鋳造されたものの、城の破却などによって浮沈の運命をたどった「城鐘」を保存・活用すべく、1899年に旧沼田町役場に建てられました。現在では、城鐘は群馬県の重要文化財として指定を受けており、複製品が使用されています。
鐘楼の隣には沼田駅方面を望める展望スポットがあります。この沼田城は沼田の市街地とほぼ同じ高さにあるのですが、沼田市は河岸段丘となっているため、沼田駅方面を見下ろすことができます。
沼田公園内は地域の方の散歩コースとなっているようで、散歩コースに沿って公園の北側に向かいます。北側にあるのが、この「平八石」です。
平八石の由来は、沼田城を築城した沼田万鬼斎顕泰の子・沼田平八郎景義から来ています。沼田平八郎景義は、内紛により追われた後、1581年に、沼田城に兵を進めていたところ、伯父に謀殺されました。その後、初代・真田昌幸が、首を実検の後に載せた石といわれています。なお、亡骸は小沢城跡に葬られ、沼田大明神として祀られているそうです。
平八石は沼田城址のほぼ北端にあり、北側は河岸段丘の低地となっているため、こちらもまた展望が開けています。北側にはテーブル状の珍しい山体である「(上州)三峰山」が望むことが出来ます。
北側にはもう一つ沼田公園きっての見どころがあります。それはこのお堂、天狗堂です。
この天狗堂には、日本一の木彫り大天狗面が安置されています。この天狗面は、1959年(昭和34年)に造られた長さ3m、幅2m、鼻の高さ1.4m、重さ1tを誇り、木彫りとして日本一の大きさとのことです。
なぜ、日本一の天狗面が沼田にあるか、というと、沼田市北部の迦葉山龍華院弥勒寺に由来があります。弥勒寺の高弟・中峰尊は、大いに仏道に励み、卓越した神通力を持っていたとされていますが、住職の座を譲った際、「吾れ迦葉仏の化身にて巳に権化化業は終わった。よって今後は永くこの山に霊し、末世の衆生の抜苦与楽せん」と誓願し、昇天され、その後に天狗面が残されたといわれています。それ以来、その功徳をたよりその御利益を信じ、天狗面を奉納する習わしとなったそうです。
ホテルに戻る前にもう一つだけ「旧生方家住宅」に立ち寄ってから帰ることにします。こちらは、まだ開館前だったので外観のみ見学しました。
この旧生方家住宅は、17世紀末頃に建築された妻入・板葺の町家で、東日本に残る最も古い部類の町家造りの建築物として、1970年(昭和45年)に国の重要文化財に指定されました。
なお、元々は市中心部にありましたが、1973年(昭和48年)に現在の沼田公園内に移築されています。
ホテルに戻った後は、短い時間にかいた汗を軽く流して、涼を求めに出発します。
(つづく)
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