新緑の島前#5

後鳥羽上皇と地方創生の島・中ノ島

Date: 2025/4/27

隠岐汽船(別府港→菱浦港)

西ノ島観光を終えて、続いて中ノ島へと向かいます。中ノ島は西ノ島と同じ隠岐・島前の島の一つで、自治体は1島1町の海士町となっており、地域活性化や移住への先進的な取り組みでも有名です。

それでは、フェリーくにがにのって、中ノ島・菱浦港へと出発します。

この日の天気は曇りのち雨の予報ということで、あいにくの空模様。太陽が隠れるとまだ寒さも感じるものの、菱浦港までは20分の短い船旅なので、デッキから島前・島後の島々を眺めて、過ごしました。

さて、菱浦港が見えてきました。手前に見える建物は「ホテルento」で、元々あったホテルをリニューアルした本館(写真中央右側の施設)と別館(写真中央左側の施設)からできています。特に別館は価格帯も高い設定ですが、思い思いの島時間を過ごせるホテルとして、好評なようです。

このように、先ほども触れましたが、かなり地域活性化の進んでいる島で、ほかの隠岐諸島の島々が2010年からの15年間で1~2割程度の人口減少に直面しているなか、海士町はほぼ人口を維持しています。

実際に、島で1泊2日、楽しみましたが、観光産業に従事している方にも移住者が多く、官民が連携して盛り上がっている「いい島」のように思えました。

レストラン 船渡来流亭

西ノ島でもレンタカーを手配していましたが、まず先に港の「レストラン 船渡来流亭」で、お昼ご飯をいただきます。

今回は「寒シマメ漬け丼」と岩牡蠣を注文し、先に漬け丼がやってきました。

寒シマメとはスルメイカのことで、肝醤油漬にして、薬味や生卵などをかけるのは隠岐でよく食されるメニューのようです。こちらのお店では、中ノ島産のコシヒカリにかけて、いただくことができます。

それでは、どんぶりのうえに、寒シマメの肝醤油漬けと生玉子をかけて、みます。これは、絶対おいしいこと、間違いないビジュアル。

かなり濃いめの味付きなので、ご飯がどんどん進みます。

さて、岩牡蠣もやってきました。海士町産のブランド岩牡蠣「春香」です。大きな器がよく似合う堂々たる風格。一口で美味しくいただきました。

中ノ島ドライブ

食後は観光協会の受付で、予約していたレンタカーを借りて、中ノ島ドライブへと出発します。

今回は反時計回りに中ノ島を回っていきます。

そうして、たどり着いたのは中ノ島最南端「木路ヶ埼灯台」です。

この場所からは知夫里島と西ノ島を望むことができ、島前カルデラを眺望するのに最適な場所です。ただ、アクセスが悪いので、来られる人は少ないようで、私がここに滞在している時間は自分だけの島時間を楽しめました。

さて、曇天から晴れ間が見えているものの、今日は天気が悪くなる予報なので、早めに次のスポットへと向かいます。

島の最南付近は半島のようになっており、酪農がおこなわれているのですが、付け根にあたる島南部の集落が崎集落です。いかにも、という名前ですが、この地にある「三穂神社」は、後鳥羽上皇が隠岐に流された際に仮どまりしたことで知られています。

隠岐には多くの人が流されてきましたが、中でも筆頭なのが後鳥羽上皇と後醍醐天皇でしょう。この地にゆかりのある後鳥羽上皇は、当時の鎌倉幕府執権・北条義時に対して挙兵した承久の乱に敗れ、隠岐に流されています。

一方の後醍醐天皇は先ほどまでいた西ノ島とゆかりが深いですが、同じく鎌倉幕府打倒を掲げ、元弘の乱を起こし、隠岐に流されています。後醍醐天皇は、隠岐を脱出し、建武の新政として、まさに鎌倉幕府を打倒したことになりますが、後鳥羽上皇は生涯を隠岐で終えています。

幸運にもまだ晴れ間が残っているので、この勢いのうちに観光をすべく、北へ戻っていきます。ただ、途中からどんより曇り空が優勢に。予報よりも持ってくれただけ良しとしましょう。

次に訪れたのは「天川の水」という隠岐諸島を代表とする湧き水スポットです。大きな山のない中ノ島ですが、ほかの隠岐諸島と比較して、地下水が豊富で、天川の水も枯渇したことがないといわれています。

もうすっかり曇天ですが、北東部の景勝地「明屋海岸」へやってきました。曇っていても十分美しいことが分かる素晴らしさですが、晴れていれば赤い断崖と紺碧の海のコントラストが美しいようです。

なお、この時は遊歩道で奥まで行けたのですが、落石の危険から、2025年夏以降、立入禁止となっているようです。

この海岸からは島後島を眺めることができます。五島列島ほどではありませんが、隠岐もまた島の連なりを見ることができ、こういった景色が好きな私好みの島です。

その後、金光寺山という展望スポットに立ち寄り、島北部にある社・宇受賀命神社へとやってきました。

午前中に訪れた西ノ島の由良比女神社と同じく、平安時代に編纂された延喜式神名帳にも記録された由緒ある神社です。神話上では、宇受賀命と西ノ島の神が女神を取り合い、女神は勝利した宇受賀命の子を(先ほど訪れた)明屋海岸でお産みになったとされています。

参道は水田に囲まれていて、とても雰囲気の良い道が続いています。

Photos

隠岐神社

最後に海士町中心部の海士地区を観光します。この地域には隠岐神社という大きな神社があります。隠岐のなかでも大きい神社ですが、創建は新しく、後鳥羽天皇の700年祭を記念して、昭和14年です。

緑の豊かな参道を歩いて参拝します。

この隠岐神社の東側には、後鳥羽上皇が行在所としていた源福寺があります。行在所跡は、うっそうとした木々に囲まれており、チープな表現ですが「歴史を感じる趣き」があります。

隠岐神社の向かいには後鳥羽院資料館があり、後鳥羽上皇と隠岐・島前について学ぶことができます。この後鳥羽院資料館と近くにある村上家資料館は共通券が発売されていたので、共通券を購入しました。閉館時間も割と近かったのですが、連絡をしていただいたので、スムーズにどちらも観光出来ました。

こちらが村上家資料館です。村上家は、後鳥羽上皇が配流された際にも上皇のお世話をしていた、隠岐を代表する旧家です。また、江戸時代においては西廻り航路で各地をむすぶ廻船業として大きな財を成したそうです。

Photos

今日の宿は海士地区に取ってあるので、観光を終えたら、宿へチェックインしに向かいます。

(つづく)